死ぬために生きるということはなんなのか



今日は学生時代最後の誕生日である。

今年の4月から大きな組織のために1日の1/3以上の時間を使用するという「生きる」ということを考えさせられる期間に少なくともその所属から離れるまでは突入する。
いい機会であるし、「生きる」ということを文章化することで自分自身の「生きる」ということを再認識するとともに、インターネット上に記録することで、未来の自分及び自分自身ではない人に僕の思考を見てもらいたいと思う。

本ブログではこのような試みは初であるが、どうせ検索流入の人がほとんどだからこんな記事を上げたっていいだろう。
むしろ僕そのものがコンテンツの一部となるという部分を考えればプラスである。

父に聞いたことがある。
人はいずれ死ぬのになんで生きなくちゃいけないの?って。
その時父はこう答えた。
「死ぬために生きるんだよ」

父は交通事故で一度死にかけており、彼いわく三途の川を渡りかけたらしい。
六文銭がなかったので帰ってきたらしいのであるが。
そのような経験からもそんな言葉がでてきたのかもしれない。

僕はこの「死ぬために生きる」ということがどういうことなのかよくわからなかったし今もわかってない。
死ぬということを無になる、ゼロになるという考え方をすると、生きること即ち1を積み重ねていく行為は最終的にゼロにリセットされてしまうから無駄になってしまう。

つまり、人生を全体として見た場合、生を受けた瞬間に命を失うことと、生を受けてから100年間生きたのち命を失うことは同義である。
結局自分自身には何も残らない。モノも記憶も存在もなにもかも。
生きた100年間のうち、10ヶ国語をしゃべれるようになった、スーパーハッカーになった、総理大臣になった、こんな事実も自身が死んでしまったときには自分自身には何ものこらない。これらを多くの努力の結果得たとしてもそれは有効なのは生きているときだけで、死と共にそれらはリセットされる。

このように考えると人生とは実に無情で絶望しか感じない。
ほんとになんで生きているんだろうって考えるのも至極当然である。

ここで「死ぬために生きる」という言葉を考えてみよう。

「死ぬため」とはなんだ。
ハートマン軍曹「本日をもって貴様らはウジ虫を卒業する


本日から貴様らは海兵隊員である。
兄弟の絆に結ばれる。貴様らのくたばるその日まで。
どこにいようと海兵隊員は貴様らの兄弟だ。


多くはベトナムへ向かう。ある者は二度と戻らない。


だが肝に銘じておけ。
海兵は死ぬ。死ぬために我々は存在する。


だが海兵は永遠である。
つまり―――貴様らも永遠である!」
これは映画「フルメタル・ジャケット」のハートマン軍曹の言葉らしい。

ここで注目すべきことは
「 海兵は死ぬ。死ぬために我々は存在する。だが海兵は永遠である。」
この部分。
この海兵の部分を人間に置き換えてみよう。
「 人間は死ぬ。死ぬために我々は存在する。だが人間は永遠である。」

これは「死ぬために生きる」というワードと同義ではないだろうか。
もしかすると父はこの言葉を知っていて使ったのかもしれないが、後半の文も一緒にくれればもっと理解しやすかったのではないかなぁと思うが…

一文目の”人間”はこれは一個人の話だと思う。
つまり、「私」だ。
二文目の”人間”はこれは人間という大きな枠組みの話だと思う。
つまり。「人類」である。
「私」は死ぬために存在する。しかし、「人類」は永遠である。
こういうことだ。

一人ひとりの人間の積み重ねで人類は成立しており、一人ひとりの犠牲が人類という種を成長に導くということになる。
生きるということは人類に貢献することであり、自身の消滅は大した意味を持たない。
自身のことだけ考えずに総体のことを考えろということだ。

本当にこれは人間社会のシステムをきれいに表している言葉である。
すべての人間には役割があり、その役割を担うことで社会システムが回ってゆき、快適(?)な生活が多くの人間に与えられている。今の生活があるのも全員が社会システムによって自然発生的に生まれた役割に、社会システムによってそれぞれに最適だと思われる役割に配置され、そのシステムが稼働しているからである。

多くの人が自身の人生を人類のために使用し、命を削っている。
まさに「死ぬため(人類として生きるために)に生きている(死んでいる)」のである。

ただ、僕はここまで到達しても結局のところ生きていたいとはあまり思えないのである。
だって、そもそも人類の存在意義というか物事の存在意義というものがわからないから。

システムが存在するからそこに存在意義が発生するのであって、そもそもシステムがなければ存在意義は発生しない。
仮に全生命や物体が一瞬にして存在を消去されたとしたら?

システムが存在するから価値も発生するし意味も発生するし意義も発生するのであって、本質的にはなにもないというのが真実だと思う。
仮に現段階で僕が自殺をしたら社会システムによって処理されるので、僕の死はいろいろな意味を生む。死体処理だとか僕の代わりとなる社会システムの歯車を探すことだとか、いろいろな事象が僕の死に起因して発生する。
だがしかし、なにもない空間で突然僕が生まれ自殺したらどうだろう。僕が死ぬ。ていうか僕以外の人間も微生物も存在しないから動かない僕が朽ちない魂の抜けた肉の塊として永久にそこに存在するだけだ。

ってなるとやっぱり絶望しかないんだよなぁってなる。
だってほんとになんの意味もないのだから。
総体では意味があっても単体ではなんの意味もなさないし、現代のこの社会システムに対して不満があったとしても何も変えられないし何も変わらない。
だって社会システムの総体を現状から変えるということはそれはすべての人間が人間をやめるということだから。

世の中に不満があるなら自分を変えろ!それが嫌なら、耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ!!
攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 第1話
まさにこれ。

結局今この時代を生きているということになっているからひとまずこの人生をなんとかしなくてはならないのです。決められたゲームルールに従って。
もしかするとこれはフルダイブ型の人生ゲームかもしれないし、もしかしたらこの上の階層にいる僕が見ている夢かもしれないし、もしかしたらどこかのシミュレーション上で動いているAIの1つなのかもしれない。

ここまでの人生ゲームは運も人も味方して結構うまく行ってきたほうで、恵まれているからこんなに変でおかしなことを考えることができるのかもしれないが、今後もこんなことを考えながら自分の生きている意味を探して、今見ているこの世界から離れるまで頑張っていくしかないんだよなぁ。

でもまぁどうせ「大した命じゃないんだ死ぬまでやれ」ってね。
落合信彦が言ってたらしい。

少しでも抗えるように頑張りたいと思います。

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